南方稲荷

 


 

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関興寺は、関東管領上杉憲顕(うえすぎのりあき)の子、
覚翁祖傳(かくおうそでん)和尚が、
今から600年程前に高僧の誉れ高き「普覚円光禅師」(ふかくえんこうぜんじ)を招いて
開山(かいさん・お寺を開くこと)した臨済宗のお寺です。

当時、関興寺には、普覚円光禅師を慕って集まった
300人を超える雲水(禅宗の修行僧)が厳しい禅の修行をしていました。

ある日、開山禅師がいつものように静かに座禅をしていると、
なんと、禅師が持仏(守り本尊)としている聖観世音菩薩が、
突然目の前にあらわれたのです。
その聖観世音菩薩は、聖徳太子が御造りになられたものと言い伝えられていて、
禅師がとても大切にしていた仏様でした。
「これより私は稲荷の身となる、そなたがこの寺の裏山に鎮守として祀るならば、
長く寺門を興隆させ、更に篤く信仰する者には諸願成就、末永い安寧を約束しよう。」
聖観世音菩薩は穏やかにそう御告げになると、
静かに禅師の前からその御姿を消されました。

早速、禅師は聖観世音菩薩の御告げの通りに
関興寺の裏山に「稲荷の祠」を祀ると、
「鎌倉公方足利氏」や「関東管領上杉氏」の篤い帰依を受け、
瞬く間に関興寺はその勢力を広め、
上杉謙信公の頃には越後・越中・加賀・能登・北信濃に末寺300ヶ寺を有する様になり、
総門・三門・仏殿・法堂・方丈・禅堂・塔頭7ヶ寺に及ぶ大伽藍も整備されるに至ったのです。
それから、100年以上も関興寺の隆盛はつづくのですが、
1578年、天正6年の春、その関興寺の繁栄の歴史を大きく揺るがす大事件が起きました。

戦国時代、「越後の龍」と諸大名に恐れられた上杉謙信公が突然亡くなられてしまい、
御養子の景勝公と景虎公の二子の間で
家督相続の争い「御館の乱(おたてのらん)」が起こったのです。
景虎公は、小田原の北条氏政の弟で、
その北条軍の援軍を受けたために、
景勝公に対して非常に有利な情勢にありました。
景勝公の苦戦を聞いた関興寺では、
「長年にわたり我が関興寺を外護してくれた景勝公をなんとかお助けしよう…」と
寺領内の手勢300人を景勝公の援軍として向かわせたのです。
その300人の援軍の中に「渡辺藤兵衛」と名乗る勇壮な武者がおりました。

いざ戦がはじまると・・・渡辺藤兵衛は、敵の軍勢の真っ只中に飛び込んで、
十文字の槍を見事に操り、迫り来る敵を次々と蹴散らし、
縦横無尽、文字通り「神がかった大活躍」をしました。
始めのうちは押され気味の景勝公の軍勢も、徐々にその陣容を立て直し、
渡辺藤兵衛の「神変不思議」の働きもあって、
圧倒的に有利であった景虎公の軍勢をついには打ち破ったのです。
戦に敗れた景虎公は自害して果て、謙信公亡き後、
越後の上杉家の家督は景勝公が継ぐこととなったあるとき、
景勝公は「このたびの戦において、
見事な槍働きをした渡辺藤兵衛なる者を余の前につれてまいれ、
望み通りの恩賞を与え余に対する忠義に報いたい」
と近習に命じて、渡辺藤兵衛なるものを探させました。

しかし、不思議なことに家老や足軽大将は勿論、物頭などに問いただしても
、誰一人として藤兵衛なる者の行方を知っているものは無く、
関興寺からの手勢にいたことから、
寺方に尋ねても一向にその行方をつかむことはできませんでした。
「さては、あの乱戦のさなか、体に深手を負い、何処かで息絶えたか・・・」
と誰しもが探索を諦めかけたころ、
藤兵衛を探していた者の内の一人が、
捜索を打ち切り城に引きあげようとする道中で、
関興寺の裏手にある「稲荷の祠」のその前で、
なんと渡辺藤兵衛の使っていた十文字の槍、甲冑、鎧が
脱ぎ捨ててあるのをついに見つけたのです。

急いでこの話が景勝公に知らされると、
「おお、さては我が上杉家と因縁深き関興寺の鎮守である稲荷大明神が、
余に味方し御助けくださったか・・・」と景勝公は感激し、大いに喜ばれて、
それ以後は景勝公がお生まれになった城から見て、
南の方角にその「稲荷の祠」があったことから「南方稲荷尊天」と称して、
崇敬の念篤く、立派な社殿など建立して深く信仰されたということです。


ちなみに、稲荷の祠のあった関興寺は、
御館の乱の折に景虎方に火をかけられ、
大小18の建物のあった大伽藍は全て焼失してしまいましたが、
景勝公によって悉く復興され、上杉家120万石が「関が原の合戦」に敗れ
米沢30万石に国替えになるまでの間、
関興寺の法燈は上杉家の庇護のもとますます栄えました。
景勝公が篤く尊崇した「南方稲荷尊天」は、
上杉家が米沢に国替えになった折、
関興寺と共に「藤兵衛稲荷」と称して移されました。
そして400年以上経ったいまでも米沢の関興庵に祀られているそうです。

現在の越後関興寺では3月の初午、7月の第1日曜日に大般若会を厳修し、
多くの方々が参拝に訪れ屋台などが並び、無料サービスもあり、盛大にお祭りが行われます。
どなたでも参加出来ますので是非御参拝下さい。