拝観案内(境内)

総門

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「総門」

関ヶ原合戦後、大檀越・上杉景勝公の米沢移封の為、
庇護を失った越後関興寺は一時衰退するが、
それを憂いだ景勝公の命により、
米沢藩・二代藩主定勝公指南役・萬源恵祥禅師
(ばんげんえしょうぜんじ・鎌倉建長寺第一八五世住持)が
米沢関興庵から越後関興寺第三七世に住持するや、
ご朱印地を与えられるなど徳川幕府より篤い庇護を受け、
十万石の格式を授かるまでに法灯が復興した。
関興寺の総門は、別名・黒門と呼ばれており、
約三百年ほど前に建立された門で
安房勝山藩・酒井家(徳川家譜代大名)
白川陣屋代官・下田家の屋敷門だったものを
平成二十一年八月に移築したものである。

構造および形式は一重、
移築前は切妻造り方出番所附、総本瓦葺き、方潜門で、
門戸桁行7間、奥行き2間半、中央4間に門扉を
設け、両側各一間半は漆喰・板壁作り。
左側に門番の詰所があることから、
武家屋敷の風格がとてもよく感じられ、
簡素ではあるが使われている素材が大きく門扉は
欅の一枚板で造られていることなどは、
徳川家譜代大名である酒井家重臣・下田家の格式の高さを
よく表している。

また、この門は「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士・堀部安兵衛
(ほりべやすべえ)にゆかりがあり、
屋敷の書院・庭園は群馬県の重要文化財
(昭和四十八年八月二十一日)に指定されており、
特に庭園は堀部安兵衛が自ら設計・作庭したと
伝えられている。


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「三門」

三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、空・無相・無作の
三解脱門を略した呼称。
貧・瞋・痴の三毒を解脱する境界の門とされる
場合もあり、禅宗七堂伽藍
(三門、仏殿、法堂、禅堂、庫裡、東司、浴堂)
の中の一つである。
構造は四脚門で門柱の前後に控柱を二本ずつ、
左右合わせて四本立てた造りで、重要文化財として残る日本の門の建築様式の中では
最も多い構造であり、正面に配されることの多い
格式の高い門とされる。

この三門は、関興寺の建築物では最も古く、
元禄年間建立の三百年以上経過したもので、
長年の厳しい風雪によって垂木などが損傷が
著しいが、木鼻、蟇股等の様式が江戸時代中期頃の代表的な特徴をよく備えており、
関興寺が徳川幕府から十万石の格式を
与えられた歴史を現在に伝える
貴重な建築物である。

中央に掲げてある「関興」の額は、
第五十七世住職中野五葉和尚揮毫彫刻に
よるものである。


 

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「經蔵」

輪蔵とは、寺院内に設けられた経蔵の一種。転輪蔵。経蔵の中央に、中心軸に沿って回転させることが
可能な六面形の書架を設け、そこに黄檗版一切経を
収納したものである(回転式書架)。

一般には、この輪蔵を回転させると、
それだけで一切経を習得したのと同等のご利益が
得られるものと古来より信仰されている。
中国・南朝梁の傅大士によって考案されたものと
伝えられており、輪蔵の正面には、
傅大士とその二子(普建・普成)による三尊像が
奉安されている。
臨済宗の禅寺にしては珍しく、総漆塗りで
金箔がほどこされ絢爛豪華であるが、寛政年間に
建立され二百年以上が経過しており、
近在では水沢観音・善光寺などにしかなく
新潟県下では非常に数少ない貴重な建造物である。

普段は外からしか参拝は出来ないが、
特別希望者には転輪祈願
(てんりんきがん・輪蔵を回転させながら願い事を念じ、ご利益を授かる行)が許される。